現在子育て中の私のもっぱらの興味事は、
子育てに関わること!です。
中でも民営化にかかるもの。
すでに少子化になっているのに、検討を加速させるだけの国。
子育て教育日本一とキャッチコピーを貼りながら、全然子どものためでない市政を繰り広げる行政。
子ども家庭庁が発足しても「子どもを真ん中にした」社会はできるんでしょうか。
ゆりこムーブメントという東京の加速はギアがアゲアゲで、これに多くの都道府県もついて行ってはくれぬか?と思ったなりません。
現在、箕面市には公立の幼稚園が3園、保育所が4園で、令和5年4月には稲保育所が民営化が決まり、アートチャイルドケアによって運営されることとなっている。
令和6年には全ての幼稚園・保育所がなくなり、こども園になる。
条例的には可決し、市議会も通りました。
本当に良いのでしょうか。
私はこちらの見直しについて日々動いています。
本来、普通な生活では政治は程遠い存在で、私も保育園の役員をやらなかったら、「通わせてる保育園が15年前に民営化した保育園だった」とか、国が「こども園化にはお金を出す」とか、桜保育園も民営化園だったとか、保育士の先生の賃金が福祉職扱いで幼稚園教諭とは程遠い世界だとか・・・知ることもなかったかもしれません。また、箕面市には支援の必要な子どもがいるのは知っていましたが、年々増えており、「インクルーシブ教育推進の町」だった、とかも。
実際、医療的ケア児といわれる子どもは「医療行為」が保育中に必要になるため(吸引・吸入・バイタルチェックなど)研修や鍛錬のある経験が職員や看護師が配置されて受け入れを実施している。また、1人の保育士に子どもが1~2の配置での保育がされている。発達診断士の先生のフォローも必要ということで、現在は公立の保育所や幼稚園が受け入れているのが現状です。
では、綺麗事で、みんな受け入れたらいいじゃない〜!なのでしょうか?
理想はそうです。しかし、私学つまり民間は社員の人生や今いてる子どもの生活を守らないといけない。では、どうします?不採算な事業には取り組みません。
それが、資本主義の社会ですよね。では、ハンディキャップがある子どもはあきらめなくてはいけないのか?違いますよね。みんな均等に機会を与えられるべきです。
だからこそ、公的な設置の保育所や幼稚園が必要なのです。公立があることである一定レベルの競争や子どもの取り合いに抑止力がかかります。また、市の方針や課程を遂行できる場がのこるため、抜きん出たオリジナル教育にも抑制ができます。
なんで、こども園がダメなの?
それは、1号認定、2号認定、3号認定が同じ生活の場を利用したら利用区分によっての動きが違い取りこぼしがあり、命の危険があるからです。特に危険な時間はお昼過ぎ。ちょうど午睡の時間ですかね。
もう一つ、保育も教育の土台であるとの改定がありましたが、幼稚園はどこまで行っても一条校、つまり学校なんですね。極端に言うと学びと矯正を教育される場です。教えを実践し、認知的にだして行くのが主流です。保育所はどうでしょう。生活からの発見などを通して遊んで学ぶ。学力直結ではないのです。非認知の学び、感じるを大切にしています。
方針が違うものを同じ箱に詰め込むのはいかがなのでしょう。
令和4年は、沢山の子どもの命が失われました。その中でもあったのが、
兄弟姉妹別々園の通園での事故。保育士からのなんらかの暴力。
保育所も、幼稚園もこども園も、朝行って無事に家に帰るのが当たり前です。でもそれができないのが、今の日本です。
あえて別の園に入れている保護者もいるでしょうが、私は希望したら、兄弟姉妹は同じ園で生活できるようにする。その反対側を行政がするのはおかしい。また、安全確認の電話などを現在の人員で行うのはナンセンス。
少子化なら、ひとりひとりを大切に保育体制を見直して少人数保育を実現させるべきです。
日本では、事件が起こると対策へのガイドラインや対応が主になりがちですが、根幹には労働環境の悪さや人材の扱いが良くないと言う点が大いにあると思います。
その現実を変えよう、せめてもう1人子どもたちに保育士を。
公立幼稚園や保育所が、その街の子どもをどう育てていくのか、どんな街にしたいのか、土台作りは人づくり!だと教育現場にいた私は思うので、大きく声を上げていきたいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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